公益社団法人 東京都教職員互助会

文字サイズ変更
トップページ > 東京都教職員総合健康センター > 災害発生時のこころのケア

東京都教職員総合健康センター

災害発生時のこころのケア その9

東日本大震災・教職員のメンタルヘルス支援(後記)

東京都教職員総合健康センター 臨床心理士長 溝口 るり子

 まだ冬の寒さが時折ぶり返す4月3日に、私たちの東日本大震災の支援が始まりました。

 前週の水曜日に東京都から正式に依頼されてから、事務部門は交通機関の確保に必死になり、心理士のスタッフは急きょ神保町の登山用品店に走りました。 防寒衣類、非常食、簡易トイレ、ヘッドランプ、、、自己完結型の用意で行くようにとの依頼で、節電で薄暗い街中を探し歩いたのが金曜日の夕方です。 大きなリュックをかついだり、自分が入ってしまいそうなバッグを引いたり、周囲とは異質ないでたちの先遣隊6人が日曜の早朝に羽田に集合しました。山形空港からバスで仙台に行き、県教委と打ち合わせ後、気仙沼に向かいました。車中からの被災地の光景は信じがたく、さらに瓦礫の廃墟と道1本でのどかな田園風景とが隣接している景色は現実とは思えないものでした。

 最初の学校は校長以下、先生方総出で泥にまみれた新築校舎の掃除の真最中でしたが、ほぼ全員の教職員と面談し、その後夜まで続いた面談の一日を終え、宿泊することとなった避難所の体育館についてやっと一息つきました。日中の服装のままで寝袋に入り、あらゆる衣類を上に掛け、バッグを枕に横になりましたが、心身ともに疲れているのに寝入ることができません。東京とは異質な寒さに頭痛がし、ゴーッという地鳴りに続く余震は不気味で、思わず緊張します。仮設トイレは体育館の外にあり、漆黒の空に輝く星は煌々と美しいのですが、無音の寒さ厳しい闇夜にトイレに行くのはとても気重です。たった一晩で避難所生活の厳しさを嫌というほど実感しました。身体的健康のみでなく、メンタルヘルスにとっての快食・快眠・快便の重要性を再認識しました。  しかし、先生方との面談ではより厳しい状況が次々に語られました。地震後、食べ物も重ね着するものもない極寒のなか、情報もなく、連絡手段もなく、自分たちがどんな状況に置かれているのかも、また家族や家がどうなっているのかも全くわからぬまま、一晩或いはそれ以上の時間を学校や避難場所で児童生徒と過ごした先生方が少なからずいらっしゃいました。また、情報が断片的に入ってくるにつれ、次々に喪失体験が重なった方が多く、美しい自然と慣れ親しんだ街並みは全員の方が失いました。静かに涙を流しながら話される方、「今はともかく前に進むこと」と自分で自分を励ましていらっしゃる先生、「思い出したくない」「話したい」「やっと話せた」と面接でのご様子はおひとりおひとりで異なります。しかし、「ピンとこない」「実感がない」と現実を受け止めきれないでいる方や、「普通に戻りたい」と語る方が多くいらっしゃいました。もっと大変な思いをいる方がいる、自分の被災程度ではとても愚痴や弱音を吐くことはできない、つらい思いをした子供たち・保護者・同僚にどう対応したらよいのかを心配している方が多く、ご自分自身も被災していらっしゃるのに同僚や他者への心配を語る方が多く、頭が下がる思いでした。 「支援してもらっているだけではだめなんです、自分たちがやっていかなければいつまでたっても被災者のままなんです」「普通にしていてください。経済活動が低下すると、私たちの復興も遅れるんです」「時間が経つと忘れられてしまうのが心配です」といったご発言も印象に残っています。

約2か月後、雨に濡れた新緑の美しい時期の訪問は、新幹線の再開で格段に楽になりました。子供たちがふざけながら下校する姿を見、中学では放課後に部活を行っているジャージ姿の生徒たちの歓声が聞こえます。ごく日常的な学校での光景です。しかし、あの凄まじいとしか言いようのない、万単位の死者と行方不明者、壊滅的な被害をもたらした震災と津波から、わずか3か月しかたっていないのに、津波で流されたり使えなくなった学校は他校に間借りしたり分散したりして学校を再開し、教職員と子供たちが学校生活を送っています。学校ってすごい!と、素朴に感動しました。

今回はある市の小中学校の全部を訪問し、面談を実施しました。夏には本拠地の東京での精神保健講習会や教育委員会・学校でのセミナーや個人面談が予定されていますが、県教委と都教委の話し合いで宮城でも夏季セミナー開催など、継続的な支援の予定です。 互助会教職員総合健康センターでは例年以上に暑く多忙な夏が予想されていますが、避難所で学んだ「快食・快眠・快便」を心がけて、スタッフ一同で乗り切っていきたいと考えております。

前の記事へ 次の記事へ

このページのトップへ